『アイツ、むかつく』とか思ってしまうことあるよね。
でも、そんな時に読んでほしい。
悲しいけど、誰でもイジメの被害者や加害者になってしまう可能性がある。
だけど、誰にもイジメの被害者にも加害者にもなってほしくない。。。
イジメの加害者になってしまう前に。。。
親が本当に伝えておきたい 命の “生教育” メッセージ。
1.イジメを通して、子供が犯す犯罪行為
思春期になると、男の子も女の子も心が自立し始める時期で、心が不安定になりやすい。
なんだか無性にイライラしたり、落ち込んだり、コンプレックスに悩んだり。
個人差はあるかもしれないけど、みんなその心の不安定、いわゆる反抗期を乗り越えて大人になっていく。
心の中のイライラを周りにぶつけてストレス発散は良くないよね。
だからこの時期に、自分に合ったストレス解消法を見つけておくことは、とても大事。
『反抗期だから仕方ない、何をやっても許される』って訳じゃない。
大人社会で許されないことは、もちろん子供社会でも許されない。
例えば、脅迫、誹謗中傷、器物損壊、暴力行為。
これらはもちろん犯罪だけど、子供たちのイジメの中でも起こり得ること。
子供でも、イジメを通して犯罪を犯す危険がある。
子供でも、イジメを通して人の命を奪ってしまう可能性がある。
2.イジワルとイジメ
イジワルとイジメは違うと思う。
イラっとした時に、ついイジワルしちゃうことはあるかもしれない。
キツイ言葉を言ってしまったり、八つ当たりをしてしまったり。
私もある。
イジワルされた方はたまったもんじゃないけど、イジワルなら、心の傷も擦り傷ぐらいで時間が過ぎれば治るでしょう。
だけどイジワルがイジメにエスカレートしたら、相手の心に与える傷の深さは計り知れない。
一生治らない心の傷を残してしまうかもしれない。
イラっとしたきっかけがあったかもしれない。
『イジワルしてやろう』って気持ちが芽生えてしまったかもしれない。
だけど、そのイジワルを続けちゃダメ。
イジワルを相手に執拗に続けるのはイジメだから。
集団で1人にイジワルをするのもイジメ。
だけど、それがイジメかイジメじゃないかって、本当は自分自身が一番よく分かってるんじゃないかな。
相手の困った様子を見て、自分の心の中の悪魔が笑っていたら、それはイジメなんだと思う。
3.イジメの加害者にならないための、合わない人との付き合い方
学校や社会には、自分と合わない人もいると思う。
いろんな人がいて当たり前。
自分と合わないからってイジメていい理由にはならないよね。
ましてや、反抗期のイライラをイジメで発散なんて、言い訳にもならない。
合わないんだったら、無理して近づかなくていい。
なるべく視界に入らないように距離を取るの。
無視する訳じゃないけど、必要以上に関わらなければいいだけ。
だけど「合わない人とは距離を取る」っていうのは、これが意外と難しい。
相手から近づいてくることもあるし、みんなであからさまに距離を取ると“無視”というイジメになっちゃうし。
だけど、無理して一緒にいたら、いつか気持ちが爆発しちゃうかもしれない。
だから、もし合わない人が近づいてきたら、
これがポイント。
ただし1人で。
フェードアウトするのに、誰かを誘っちゃダメ。
あからさまになってしまうから。
それに、自分は合わないかもしれないけど、他の人も合わないとは限らないしね。
『電話かかってきちゃった』とか『お腹痛くなっちゃったからトイレ行ってくる』とか、適当に理由をつけて、さりげなく爽やかにその場からフェードアウト。
人には相性があるから、合わない人がいるのは仕方ない。
合わない人に対して攻撃さえしなければ、仲良く出来ない自分を責める必要はないと思う。
堂々とフェードアウトすればいいだけ。
学校を卒業して社会に出れば、もっといろんな価値観の人に出会うことになる。
気の合う人もいれば、合わない人もいるでしょう。
でも、気に入らないからって自分から攻撃してたら、あなたの周りは敵ばかりになっちゃう。
残念ながら、大人になっても敵ばかり作ってしまう困った人っているんです。
しかもそういう人に限って、わざわざ自分から攻撃をしてくる。
だからますます嫌われてみんなが離れていくのに、自己中な “正義” を振りかざしては、また懲りずに周りにちょっかいを出す。
「あおり運転をする人」とかが、まさにそれ。
しかも『自分は正しい』と思ってるんだからタチが悪い。
そういう人は、やっぱりどこに行っても嫌われる。
そんな痛い大人にはならないで。
もちろんイジメの加害者にも。
4.イジメの加害者の代償
良いことも悪いことも、その印象が大きければ大きいほど、人の記憶に残るもの。
イジメの加害者だって酷いイジメをすればするほど、被害者はもちろんクラスメイトはそのイジメを忘れない。
多くのクラスメイトは、イジメに巻き込まれたくなくて、見て見ぬフリだったかもしれない。
『助けてあげられなくてごめん』って思っていたかもしれない。
だけど、ちゃんと見ていたはず。
大人になっても、顔を見れば『あの時のイジメの加害者だ』と思い出す。
加害者がいくら『あの時のイジメは過去の過ちで、自分は心を入れ替えた』と言っても、信じてくれない人もいるでしょう。
許してくれない人もいるでしょう。
『アイツとは、もう関わりたくない』と思う人もいるでしょう。
イジメが酷ければ酷いほど、みんなの心に刻まれて「イジメの加害者」というレッテルが一生付きまとう。
イジメが酷ければ酷いほど、もう地元には居られないかもしれない。
イジメが酷ければ酷いほど、もう地元には戻って来られないかもしれない。
何年たっても大人になっても、同窓会には恥ずかしくて顔を出せないかもしれない。
それがイジメをした加害者の代償。
被害者も加害者も誰一人、得をしないのがイジメなの。
言葉だけでもイジメは出来てしまう。
言葉だけでも殺傷能力がある。
しかも、言葉で受けた心の傷は目に見えない。
傷の深さが見えないところが、心の傷の本当に怖いところ。
だから『これ以上やったら、相手は死んでしまうかもしれない』ということに気づかない。
心の致命傷は目に見えない。
だから想像してほしい。
その言葉を言ったら相手はどう思うか、自分だったらどう思うか。
そんな態度をとったら相手はどう思うか、自分だったらどう思うか。
それを想像する気持ちがあれば、「自分がされて嫌なことは、人にもしない」だろうし、自分の心の中の悪魔が大きくなってしまった時にも、きっとブレーキがかかると思う。
少なくとも、相手の心に致命傷を与える前に止めることが出来ると思う。
「自分だったら・・・」この想像する気持ちが、イジメの加害者にならないために一番大事なんだと思う。